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zoom RSS 東北太平洋沖地震体験記

<<   作成日時 : 2011/03/20 01:22   >>

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ぶうダーです。

あの大地震から1週間あまり。
被災地の方は私たち以上につらいおもいをされています。
この期間のことを一生忘れないよう、ぶたログに記しておくことにしました。


3月11日(金)朝。この日はかなり前から休暇を取得し、
南房総に春を訪ねる1泊2日の旅行を予定していました。
前日は終電で帰宅し、3時間くらいしか睡眠がとれなかったのですが、
館山にとった宿でぐっすり寝ようと楽しみにしておりました。
もちろん、ぶうくん,ぶり子もウキウキ。

旅の準備をほとんどしていなかったアタクシのせいで、
出発が予定より1時間くらい遅れて出発。
ランチはアクアライン・海ほたるでいただくことにしました。
館山の宿の夕食を楽しみに軽くすませることに。

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軽い南風が気持ちいい東京湾・羽田方向。

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ぶり子も腹ごしらえしてさらにテンションアップ。

この時点では何の前触れもありませんでした。
海ほたるを出たのはもう14:00近く。館山に到着するころにはもう暗くなり始めているはず。
そこでぶうくんは、「せめてイチゴが食べたい!」と言い出す。
ランチした直後なのに何を言う!なのでずか、
いきり立ったぶうくんとぶり子(イチゴ好き)に逆らえず、
そのまま木更津のイチゴ園へ。

今思えば、ここですぐに館山に向かわなかったことがあとでの苦労が軽くて済んだことになってきます。

イチゴ園に到着し、意気揚々とハウスの中へ。
ぶうくんとぶり子
1つ目のイチゴをもぎ取ろうとした瞬間にそれは始りました。

ハウスの外は軽い南風があったのですが、急にハウス全体がガサガサざわついてきました。
さらに数秒後には地面が揺れ始めたのです。

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 ぶうダー 「あ。地震だ。」
 ぶうくん 「揺れてるね。」

そのときはこの程度でした。
さらに数秒後には、天井照明やイチゴのプランターまで揺れ始めました。
揺れはどんどん大きくなります。
そのうち、他の客もざわつき始めました。

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 ぶうダー 「(心の中)え?」

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 ぶうくん 「(行動)パクリ(とイチゴを一口で‥)」

揺れはどんどん横に大きくなっていきます。

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そして、イチゴを堪能したぶうくんは、
やっと足元にいるぶり子のことに気づく。
この時点でビデオカメラを固定するのも困難になってきました。

 ぶうダー 「大きい!外に出よう!」
 ぶうくん 「ぶり子、出るよ!」

ぶり子を抱えてハウスの外に飛び出しました。
従業員や他の客も出てきます(平日だったので、計15人くらいでした)。

頭上の電柱&電線はグラングラン揺れています。
そのうち、地面なのに立っていることができなくなり、片膝をつかないといけない状態まで揺れました。
目の前の用水から水があふれ始めています。
少し遠くをの建設資材置き場の大きなブロックが「ズガァーン」とどんどん崩れおちていきます。
多くの女性は悲鳴もあげず、ただ座りこんで固まっています。
ぶうくんとぶり子もおケツを地面つけて抱え込んでいます。
この状態が1分ほど続きました。

揺れがおさまってから、いったんクルマに戻り、テレビの速報を観ていました。
「宮城県で震度7、大津波警報発令」
そして、テレビを見続けているとまたまた大きな揺れが始りました。
今度も大きい。
電柱はもちろん、クルマから20mほど先にあったハウスの暖房用重油タンクから液体が飛び出てきました。
再びクルマの外に出て、電柱と重油タンクから離れたところでかがみこむ。
やっとおさまったと思ったら、急に風が冷たくなってきました。
クルマに戻りテレビをみると大津波の映像が流れてきました。
田んぼや街並みを高く早い波が呑み込んでいくあまりのすごい映像に
「これ、スマトラの資料映像か?」と思いました。
しかしスーパーには「LIVE」と出ています。
これはやばい!
イチゴ園の場所は東京湾から10km以上離れた高い場所にあったのですが、館山にはいけないと直感ました。
(あとでやっとの思いで宿につながった電話では「ここは避難勧告となりました。キャンセルいただいてけっこうです」と。)

もう自宅に向かうしかない、思いました。
東京は震度5強。自宅が被害を受けていないか心配でした。
(窓ガラスが割れていないか?近隣で火事が発生していないか?など)

アクアラインや館山道などの高速道路はすでに全面通行止め。
市原市−千葉市をぬけて少しでも短距離で帰宅しようとしました。

ところが・・、

R16はすでに大渋滞。ノロノロ運転が始りました。
16:00。すでに発生から1.5時間が経過。
ナビから「通行止め箇所があります。新しいルートでご案内します。」と。

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すると前方に大きな黒い煙があがっているのが見えました。
ほぼ同時にテレビから「市原市のコンビナートで大規模火災発生中」と。

さらに16:30すぎころ、やっと500mほど進んだところで、

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目の前が赤く染まり、少ししてからクルマが少し震えるくらいの振動が伝わってきました。
石油タンクがどんどん引火しているようです。空には原爆のような雲ができていました。

このまま進んでも身動きが取れない。
左側500mほど先には東京湾。いま津波が入ってきたら・・。

やっと交差点に入ったところでわき道に。
少し流れていたのですが、1,2kmほど走ると大渋滞に。
テレビでは、都心の鉄道,道路が完全マヒしている映像が。
都心をぬけるのは無理と判断。東京湾とコンビナート、そして自宅から一旦離れて
東金市方向へ回避していくルートをとることにしました。
しかし、大きな交差点ではなかなか進めない渋滞に。
ナビの迂回ルートとプローブ交通情報に頼りながら、
四街道市→松戸市→三郷市→草加市→和光市と最後は外環道下のR298でやっと自宅に到着。
(途中、都心から歩いてきたサラリーマン,OLを何人もみかけました)
時刻は翌日4:00ころとなっていました。
家の中をチェックすると、キッチンボードの中でコップがいくつか扉にもたれかかっていたこと、
ぶり子の大好きなカエルの人形がドミノ倒しになっていたこと、
ガスの安全停止装置が稼働していたことくらいで大きな被害はありませんでした。
寝不足だったのでずか、緊張のドライブだったので、ほとんど眠くならず。
ただ、おフロに入って上がった時に急に眠気と疲労に襲われ、昼過ぎまで寝てしまいました‥。

起きてからニュースを見続けると、それは想像以上の被害をもたらしていました。
原発のトラブルもこのときあたりから報じられてきました。


そして、迎えた13日(日)深夜。「計画停電」の発表。
翌14日(月)からの通勤はこれまでにないつらさでした。
最寄駅は入場制限で改札を通るまで1時間。
電車に乗ろうとしても超満員で4回ほど乗り過ごしてやっと乗車。
車内は暖房がないのに、人同士の圧迫で汗がふきでる状況。
会社には普段は75分ほどなのですが、先週は最大3時間かかったこともありました。

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いつも通る新宿高層ビル街はいつもの明るさがありません。
(照明が落されているのでみえてませんが、写真上部も高層ビルが立ち並んでいます)

私の地域も計画停電対象。まだ実施はされていません。
おととい夕方のの「大停電の可能性あり」が発表された時の各駅は地震当日くらいに大混乱だったようです。
(私はそのまま仕事で残り、22:00くらいに会社を出ました。電車,街はほとんど人がいない・・)

そして、今日の近くのガソリンスタンドはこんな状態に。
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2時間後の営業開始予定なのに、ポリタンクをもった人が10人ほど、クルマの列が2kmほどにもなっていました。

そして、ぶうくんはいつもの食材のうち、牛乳と納豆の調達ができなくなってしまっていました。
さらには、原発では停電だけでなく放射能の不安も日に日に高まる。


ぶう家では、こんな1週間をすごしました。家族3人とも疲労困憊。
やっと迎えた3連休です。
(ただ、ぶうくんがしっかりイチゴをパクついたことと、
 宿泊をあきらめると判断したときのアタクシに対する怒りの炎(前方もコンビナートの炎‥)も疲れの一因か?)
そもそも、
11日当日は偶然にも休暇(普段通りだったら、私もぶうくんも帰宅難民、
保育園に残されたぶり子を迎え行くのは、早くてぶうくんが4時間後,アタクシが7,8時間後。)
さらに、ビルなどの建物の中ではなく、地上にいたこと。
交通情報がリアルタイムにわかるナビだったことなど、
不幸中にも幸いなことがいくつかありました。
(何より、家族3人がいっしょにいたこと)

しかし、被災地はぶう家と比べ物にならない状況となっています。
(裸足のまま津波の泥にまみれながら子供を抱えてに逃げ助かったお母さん、
 旦那さんと遺体安置所で対面した女性が「顔が見られただけでも幸せです」と涙ながらに話す、
 など、涙が出てしまいます)
ぶう家でいまできることは、被災地に対する募金,物資の提供,節電、
そして、自分たちが現実をしっかり記憶し、次の備えをすること。

何年たってもこの記事を見返そうと思います。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
地震の時、家族一緒だったのはとても心強かったね
平和でのどかな日々があの時間を堺に一変してしまった多くの人々
複数のプレートの上に乗ってる日本に住んでる私たちはいつ同じようなことに遭遇するかわからないのだから地震に対する心構えと備えをしなければいけませんね・・・
あやらぴ
2011/03/20 21:44
そのとき、私はゴルフ場で立って仕事をしていたので
キャディーさんたちが事務所から飛び出してきたことで知りました
同僚が「宮城で震度8だって」
自宅に帰ってテレビを見るまで実感がわきませんでしたが
映像を見るたびに涙が止まりませんでした

ぶうダー一家もこれから「イチゴ=地震」となりそうですね
ぶり子ちゃんの心のケア大丈夫ですか
ジャッキー
2011/03/21 06:36
ひょえー!!!って心の中で叫びながら読んだよぉ
とにかく無事で何より!そして家族全員で一緒にいられたのは、本当に奇跡的な事だよ!!
途中我が家に寄ってくれても良かったのに…ってやっぱりこういう時は少しでも早く家に帰りたいものか
ダ〜は通勤もあったみたいだし(ぶぅくんもかな?)本当にお疲れだったね。この3連休はゆっくり休めたかい?
あ〜でも本当に良かった。本当に。
chabo3
2011/03/21 18:47
無事でよかったです!!!!!

お互いに、これからしばらく大変な日が続くと思いますが、
(被災地の方々にくらべれば微々たるものなのでしょうが)
自分たちのできることを頑張っていきましょうね。

植物性のヨウ素を取り入れられるよう、昆布を食べるように心がけてます。ぶり子ちゃんにも食べさせてあげてね。
naoccha
2011/03/21 22:01
あやらぴさん>
天災はいろんなことを変えてしまいますね。どれだけ備えていても十分とはいえないけど軽減することはできそう。お互いいいアイディアが思いついたら、公開しましょう。千葉から帰宅する際、「自動車用のケータイ充電器」は役立ちました。実家や会社との連絡で、あっという間にバッテリが減ったし。
ぶうダー
2011/03/21 22:47
ジャッキーさん>
千葉では地面の上でも立っていられない状況でした。これに津波が加わるわけですから・・。
我が家では「イチゴ」も永久に語り継いでいこうと思います(母は強し)。
ぶうダー
2011/03/21 22:49
chabo3さん>
>途中我が家に寄ってくれても良かったのに
実は一瞬その選択肢もよぎりました。ただ、chabo3家の迷惑は当然のことながら、自宅の状況も心配でした(近所にモノが散乱している家があって、そこから火の手があがっていないか?など)。
ぶうダー
2011/03/21 22:52
naocchaさん>
ぶり子は、あの日から妙に「くっつき虫」になっています。2歳児なりに、なにか感じているのかもしれません(「食欲」は母子とも変わらず旺盛ですが)。
ヨウ素、確かに貴重になってきたね。ウチでは、洗濯物のうち、ぶり子の肌着だけ室内干しにするくらいしか対策しておらず・・。
ぶうダー
2011/03/21 22:56

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